吉岡 副団長に御協力いただきました。

〜口上、樂、舞によって場面はもとより、時間の流れさえもかえられる〜


  と、言っても医学的、解剖学的或いは科学的な話をしようというのではありません。
神楽を舞う(宮神楽)ときの舞台を思い出してみてください。左右の袖幕と割り幕、舞台幕に天蓋、この舞台設定は最初から最後まで同じです。が、神楽を舞い始めるとそこが、鬼の住む岩屋に、あるいは夜の山道や宮中に見えたり、時には雲の上の天空にさえも見えるのです。
不思議だと思いませんか?
  これは"口上"と奏楽によって観客の皆さんは脳で神楽を観ているのです。例えば「急ぎ候らえば程もなし、はや頼光殿の館にも着きたり」という口上を聞き、腹に響く大太鼓の音がして割幕が開き、上段には頼光役が座っているとします。
それだけのことですがその場で神楽を見ている皆さんの"脳"は本やTV或いは映画などで見た体験と記憶を引っ張り出して、目の前の舞台と脳で作られた"館"とを合成して見ているのです。口上を聞いて脳は記憶を総動員して"源頼光の館"を想像し、割り幕は"御簾"に、天蓋は豪華な"格天井"に、袖幕は蒔絵の描かれた"襖"に見え始め、そこに厳かな奏楽の音がかぶさると、皆さんの頭の中には宮の舞殿が、さながら何千万円もの費用をかけたNHK大河ドラマの宮中のセットへと早変わりしているのです。そんな舞台も1分もしないうちに、口上で黒雲に覆われ草木さえも生えない鬼の岩屋へと一変させる事も出来るのです。(時空間の瞬間移動とでも言いましょうか・・・。)
  "去年見た神楽を又今年も見たけど、何回見ても面白い!"と言う言葉を耳にしますが、去年と今年の"脳"は、経験や記憶の蓄積が違うのですから同じものでも違って見えて当たり前かもしれません。
  とにもかくにも、昔から伝わる"伝統芸能"の奥の深さと、先人の知恵には感心するばかりです。"飲むうちに酔いが廻って口上もよく分からなくなるし、そうなると面白みも無くなるのぉー。"と言う方もご安心ください。合戦の場面があります。合戦の場面は、舞人と奏楽、そして見ている者とが一体となって盛り上がります。この時は理屈抜きで、"コラァ〜ッ、鬼っ”まだ死ぬなっ!!" "神、がんばれ〜っ!"と、ヤジと声援でワァ〜ッと楽しみましょう。祭りに酒はつきものです。夜の更けるのも忘れ、理屈抜きで楽しむ!それが宮祭りの醍醐味です。


{口上(こうじょう)・・・現代風に言えば台詞(セリフ)のことです。}